部活系音ゲーマー

部活系音ゲーマーって、これ僕の悪口として言われたんですけど別に姿勢として間違っちゃいないと思うんですよね

出会いが無い!!(25歳 無職 男性)

タイトルは1割フィクションです

 

 

年一でこの時期しか記事書かないのか?みたいなことになってます(年一すら書いてない

 

今回書きたいことは、ズバリ「ゲームプレイヤーの作る環境と世代交代」についてです

 

今年一年、自分の周りでどのような変化がおこったのかを交えてお話ししたいと思います。

 

 

色々なことが重なり、20代になってから僕は1年同じ土地に居を構えるということが出来なくなっていました。

仙台、盛岡、東京、神奈川とめちゃめちゃ転々とし、地元秋田にすらあまり居ることがなく、秋田で音ゲーを始めたのに秋田に知人は居ない!と言うような状況で、「地元帰っても面白くねえな。他県行くべw」というようなことが四年近く続いていました(地元で仕事出来ないなーとか、家庭環境がーとか、色々理由もありますが

 

今年1月、地元に帰ってこざるを得ない状況になり、心底憂鬱になりながらも家とゲーセンを往復する無職生活をそれなりにエンジョイしていました。

そんなことが春先まで続いた五月のある日、相変わらずメンテナンスも良いとは言えない、プレイヤーの交流も身内で細々に見えた日々。The退屈。刺激0。そんな日々。

友人の一声で知った

 

「飲み屋街のど真ん中に午後四時から開くゲームコーナーがあるらしい」

という情報。

 

なんやそれ、前提が面白すぎやんけ…

 

連絡を貰い即行動する無職の無限の行動力が無ければ今は無かったかもしれないと、振り返っると怖くなります(仕事やめて本当に良かった〜

 

今年二月にオープンしたこのゲームコーナー。

五月の段階で音楽ゲームはリフレク、指、グルコスの3台しかなく、本当にほぼ誰からも認知されず…秋田では比較的不人気(に見える)な機種のみの稼働で、自分たちが認知するまでの三ヶ月間、ただただ8時間の営業時間静かな空間が続いていたことが容易に想像できました………

 

客足の伸びない理由が複数ありました

店が何の告知もしない

提携駐車場が存在しない

飲み屋街なので未成年や女性が立ち入りづらい

駅前にあるゲームコーナーにすらラインナップが劣っている

他にも挙げたらキリがないですが、一度行けば、いや行かなくても誰でも分かりきったことでした。

 

そんな場所に何故今、人が集まり始めているのか?

他県からの遠征者も訪れる程注目されているのか?

 

 

そこには現状を変えたいと燻っていた3人の功労者が居ました。

 

 

最初に行動を起こした男は、その店の店員でした。

彼は持ち前の器用さを活かし、独学で全ての筐体のメンテナンスを勉強し、店の情報発信Twitterアカウントを作成しました。

 

この行動がなければ自分の耳に店の情報が届くことも、継続して通うことにもなっていなかったと思います。

 

気になったことを言ってすぐ確認してくれるフットワークの軽さと、そういう人間が店に居てくれる心強さは、秋田というど田舎では大変貴重なものです。

 

 

次に動き出したのは自分でした。

秋田ではユーザー企画の音ゲー大会や交流会が少なく、プレイヤーの実力がそのまま大会結果に結びついてしまうものが多く感じて居ました。

(そもそも参加の敷居の高さや、プレイヤーの分散で新規のプレイヤーが育ち辛い・入り辛い環境になっていたと思います。)

 

誰もやらばきゃ自分がやるしかない、ということで、店員の彼と連携を取り、年内に2クレイベントや交流会等の企画を行い、畏れ多くもゲームコーナーの認知向上とプレイヤー感の情報共有や交流に関わらせていただきました。

 

 最後の男は、一番現状の秋田の環境に対して考えを持つ人間でした。

十年近い地元のプレイヤーとしてのプレイヤースキルに比例した筐体知識と、行動力、発言力、センスを活かした、名実共に環境を作り上げた人間だと思います。

店員の彼と旧知の仲ということもあり、息の合った連携で、筐体導入が決まってから鍵盤周りの部品の購入、県内1の筐体を目指してのメンテナンスを行い、店舗大会やオンライン配信イベントを経て、年内に一つの解答に辿り着きました。

 

 

3人(主に自分を除く2人)の力が無ければ、今の環境は作れなかったし、これからもっと良くしていくにもこの力は不可欠ではないかと思います。

今年の初めに地元に帰って来て、当初「さっさとこのクソ田舎から出てぇ」としか考えていなかった自分が、この環境に微力ながら携わることができ、考えが変わったのはいうまでもありません。

 

 

 

 

しかし自分の中には期待に対し。いくつかの不安も残るのです。

自分が教えてもらったこの「音楽ゲーム」に対する熱意や思い、知識などのノウハウを、今度は下の世代へ伝えていく立場になりつつあるということです。

 

「環境は店が用意するものじゃなくて、プレイヤーが作るもの」

 

今年一番胸に響いた言葉です。

 県民性もありますが、もっと交流会や大会を企画して楽しくゲームしたいと思ってる人間が少なからずいるんということが一年間の沢山の人との関わりで分かったことはとても大きく、来年以降の課題とモチベーションになりました。

 

この環境を大切にしていきたいです。言ってもメンテナンスに人員を割いてくれないゲーセンや、一部でハッテン場など言われるゲーセンや知らないところで知らない人間の悪評風評が飛び交う雰囲気にならないでほしいと思いますし、そんな環境には次の世代の子達にもして欲しくないので。

黙々とやりたい人はいて、筐体の合う合わないも人それぞれ。そこに完璧なゲーセンなんて絶対に存在しないし他人に強要もできませんが、それでも自分たちのやりたいこと理解してくれる人間を裏切らないような環境を作っていきたいと、自分は強く思います。

 

 

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また何書きたいのか途中からよくわからんことになってしまった。そんくらい吐き出したい思いだったってことが伝われば嬉しい。

 

私事で申し訳ないけども、来年から毎日音ゲーの成長記録をブログでつけたいと思っていて、そのあいだあいだにこういった長文を挟めていきたいなぁと思って〼。

 

 本来こういう縁が無ければ出会うはずのない人間たちが現にこうして出会ってるし再開していて、一般的な25無職は新しい出会いなんて滅多に無いし、こういう打ち込めることもないから、それはもう自分は恵まれてるなぁと思う。

 

ゲームセンター、音楽ゲームのコンテンツが持つ可能性をずっと信じてる。

 

ずっと最前を走り続けることはできなくて当然で、でもゆっくりでいいから世代交代するために伝えられることをどんどん伝えていきたいエコ爺になりたい。

 

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